福井豪雨現地活動報告
日時: 7月24日
- 出 発 午前1時
- 美山到着 午前7時半
- 現場撤収 午後5時
- 福井撤収 午後7時30分
- 神戸到着 午後11時30分
活動メンバー 相澤亮太郎、広瀬なつみ、黒田和彰、小畠昌史、矢野 岳
活動現場 付近地図
福井県美山町折立。今回の災害で、孤立していた集落。足羽川が氾濫し、476号線が崩壊した。現在でも福井から美山町役場の横を超えてくるルートは通行止め(通行規制)で、今は迂回ルートで北陸道 武生IC経由で池田町を抜けて一般車はくることができる。川の対岸に、同様に孤立していた「横越」という集落がある。
現場での活動
午前1時過ぎ、Qen隊ボックス前を出発、途中、多賀SAで、運転手を矢野から相澤に交代。その点、前回の新潟行きよりは、楽である。南条SAまで移動して、そこで仮眠をとる。朝起きて、福井ICを降りて、美山町役場を目指して走る。途中から道路が汚れたり、ゴミがたまったり、河川に流木が引っかかっていたりしていた。既に被災地域である。道が分かりづらかったので、コンビニに立ち寄り、そこで、食事とトイレをすます。インターネットの情報では、役場までは直接いけず、駐車場に止めてシャトルバスに乗るよう記載されていたので、その地点である「あいくい亭」を目指す。途中、河川が氾濫して、堤防が崩れた跡あり、どこから田畑か河川敷か分からない状態が見受けられる。「あいくい亭」に着いたが、回りにほとんど車もなく、閑散していた。ちょうど行政の車らしきものが来たので状況を聞くと、役場の駐車場が空いていると話になったので、次に役場に向かった。途中から線路と平行して走ると線路が浮き上がり、ねじれて川に突っ込んでいるのが見えた。壊滅的な被害を受けたJR越美北線(通称:九頭竜線)である。阪神大震災の時、夙川近辺で阪急電車橋桁が落ち、線路がねじ曲がっていたのを思い出した。
午前8時 美山町役場着 そして、美山町役場に到着。駐車場の端の地盤がえぐらている状態の場所に駐車した。そこで、着替えて、ボランティアセンターの受付に向かう。横に図書館があり、本棚の一番下の棚が全て空になっていたので、膝ぐらいまで冠水したのだろうと思われてた。花壇とかとみると泥は余りかかっていない。 ボランティア団体登録後、コーディネートされるのを待つ場所に「待機所」と書かれており、そこでしばらくニーズを待つ。保健婦のお姉さんが、「作業中に水を飲んで、塩をなめて下さい。」「防塵マスクを必ず装着してください」という声が頭に残った。これは新潟の時には徹底されていなかったことである。ニーズが来ると、行き先に「折立」と書かれており、作業は「泥だし」だった。
物資補給場所で、ミネラルウオーター、塩を受け取る。
次に「乗り場」と言う場所に行き、車の配車を待つ。まだ通行規制があり、緊急車両しか通れない場所が多いとのこと。ただ、車輌が足りず、また暫く待つことになった。
車輌の配車が決まると、行き先は、「折立」と書かれた紙を一枚渡されて、指定されたワゴンタイプのタクシーに乗った。我々以外は、郵便局の職場ボランティア5名で結構年配の人が多かった。
地図を渡されず、いったいどこに行くかよく分からなかった。タクシーの運転手はスタッフに場所を聞いて分かった様子で走り出した。
緊急車両のマークが付いているので、通行止めと書かれた標識を気にすることなく、先に進んだ。途中、土砂に埋まった家、アスファルトがはがれた道路を走り、土砂崩れがあった後、辛うじて車一台分が通れる場所を通
過していく。
そして警備員に「これ以上は進めません」と止められて、「ボランティアの車ですけど」と運転手が交渉していたが、「約束ですから」といわれ、そこからは、歩いて行くことになった。まず、歩いて、ボランティアの受付までいき、そこから、ボランティアのおじさんらしき人に、一輪車が置いてあるところまで、案内してもらう。歩くときは、一列縦隊になり進む。途中、全壊家屋や壊れた堤防を横目に川と平行した道を歩く。すれ違うのは、ダンプ、重機、自衛隊である。ほとんど埋まった川の橋の上をわたり、崖崩れ対策用のトンネルをくぐると、そこで、道が寸断されており、横の脇道にそれて、折立のボランティア受付があるお寺「称名寺」に到着した。その寺に、荷物を置き、必要な資材を持って、現場に移動した。重機の脇を抜け、土石で埋まった川(乙谷川)の丸木橋を越えていく。途中、新築中の家もあり、そこも被災していた。
現場に到着してみると、家の戸がはずしてあり、既に床板までは、はずしてあった。木の板を渡して、一輪車を入れて泥だしをはじめるが、一輪車の出し入れに時間がかかり、なかなか作業が進まない。そこで、寺に置いてきたバケツ5個を持ってきて、まず、バケツに泥を入れた後に一輪車に入れて運ぶという方法に変更した。奥まったところからは、鍬でかき出し、さらに入れるという方法をとった。
運び出した土砂は、道ばたに運ぶと、小型の重機が、泥を河へ運んでいった。
この日は、気温が30度を超え、非常に蒸し暑く、それぞれ適宜休憩をとりながた作業をおこなった。休憩中に 塩 をなめるとちょっと生きかえるような状態だ。
昼ご飯は、寺に戻ってパンを食べ、休憩する。近くには、コンビニとかの店はない。湧き水で冷やした飲み物が冷たい。昼からは、また、部屋の泥だし、庭の泥だし、サッシや網戸の洗浄を行う。そのころから、郵便局のボランティアとも連係プレイで作業ができるようになっていた。
家の方々は、泥を出した家の中を水で洗浄し、ポンプで吸い出す作業を行っている。
作業は、夕方4時前に終了。
家族の方にお話を伺った後、撤収しお寺まで戻る。お寺のボランティア受付で話して、車の乗り場まで歩く。帰りは、トラックの荷台に乗りボランティアセンターに戻った。途中、土石流、土砂崩れ、全壊家屋の横を通りながら渋滞した道を走る。ボランティアセンターに戻った後、越美北線被災現場、福井市内の堤防決壊現場(春日一丁目)を視察後、帰神した。
被災家族の状況
ここの奥さんにお話を伺うと「普段は福井市内で生活しており、週末、ここで過ごしていた。祖父母が住んでいたが数年前に他界し、リフォームして住みやすくしたところだったという。もう、気力もないので、洗浄した後は、床を張る程度ですまそうと思う」と寂しそうに語られた。
被災時は週末だったが、用事があったため来るはずだったご主人も来ていなかったので人的被害はなかった。もし、来ていたら、歩いてでもこの場所に来た。
足羽川が越水しただけなく、合流する小さい乙谷川から土石流がきたため、みんな泥で埋まったとのこと。集落としては孤立していたので、ここに来るまで消防団が家に入り、土砂と床板を撤去してくれた。
今は、孫の世話をしているので、週末に来て作業することしかできないので、なんとか25日までに目処をつけたいとのことだった。
美山町ボランティアセンター
愛知県のボランティア団体、愛知県の社会福祉協議会、神戸市社会福祉協議会のメンバーが運営していた。コーディネート現場では、ハンドマイクもなく、肉声でやっていたため、非常に声が聞き取りにくかった。24日は、1000名を超えるボランティアがやってきたとのこと。
折立のボランティア受付
2日前というから、22日前後から運営しているようだ。 24日の活動者は、150名前後で、約10班に分かれて活動したとの
ことだった。
その他気づいた点
ボランティアの健康を気遣って、防塵マスク、水、塩を配っていたが、活動現場で、被災者やその家族は、防塵マスクをせずに作業を行っていた。また長袖を来ていない人も見受けられた。
その点をボランティアの受付の気になる点として説明したが、「あ〜そうですか」という感じで聞き流された。
ボランティアの為の仕事しかしてないように思えた。
交通規制も多く、物資の補給もままならないので、ちゃんと自給自足体制で現場に向かう必要性を痛感した。今回、我々は、シャベルやバケツなどの道具を自分たちで持っていったため、現場での作業がスムーズにいった。
どうも、道具をボランティアセンターで用意してもらって、身ひとつで現場に向かうという、今時のボランティアのやり方、体制については、自分で判断できない人間を増やしているにすぎないのではないかと感じた。
矢野 岳(やの がく)
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